今日は神様からのプレゼント

神様と共に今日を生きる

今年の課題、真剣に身辺整理を~後は野となれ、山となれ

  物が多くて処分しなければならないような年になりました。今私にプレゼントは何が良いかといわれたら、お花か食べ物(特に私の場合、おせんべいや柿)だけです。


 またこのごろニュースで著名人が亡くなったという話を他人ごとのようにきいていて、「なんだ、私も後、何年生きていかれるかわからない」と気づき、愕然としました。それで、「真剣に今年中に身辺整理を完了する」、とあちこちで宣言しました。ところがアマゾンですぐ物をオーダーする夫がいるので、アマゾンの箱もどんどんたまります。良い箱なので、同じサイズの物を揃えてこれらを捨てないで保管箱として使おうなどと思うので、またいけないのですね。

 
 この友人宅の抽斗2つをご覧ください。いつでもほかの人に見せることができます。お客様がくるときにテーブルの上にあった物をかき集めて隣の部屋にぶち込む、私のやり方とは大違いです。


 入らないものを捨てるのは第一ですが、見ると捨てられないものばかり、それらは捨てなくても「整理して箱の上にタイトルをつけ、残された人にわかるようにする」ということで良いとすることにしました。結婚する前の夫とのラブレターの箱には、封をして、私の許可なければ開いてはいけないと書きました。(そうなると、結局は捨てられることになりますが)
 友人はご主人に内緒でご主人とのラブレターの山をついに捨てたそうです。なんだか、私はそれをすると、夫とかろうじて繋がっていることが断ち切れるような気がして自分が生きている間はできないでいます。


 しばらく前に世界中に旋風をもたらせた片付けコンサルタント、近藤まりえさんは今どうしているか調べてみました。彼女のセオリーは「自分にとってときめかないものは捨てる」ということをモットーに断捨離を勧めたわけです。でもそうなるとかなりの御主人が捨てられたのでは、また捨てられるのではと心配です。

『KonMari 〜"もっと"人生がときめく片づけの魔法〜』予告編 - Netflix


  彼女は子供さんが3人になった現在、昔のように片付けが事実上できなくなっただけでははなく、片付けることが第一ではなくなったそうです。それをきいてほっとしました。子供が第一になったのですね。


  先日日本人の友人宅に行ってその気持ちよく片付けられたお部屋に驚嘆しました。「これモデルハウス?日本人の家?」
 飾り物がないわけではなく、飾り物がキチンとそのシーンにピッタリに溶け込んでいました。こういう方は日本人の中には少ないと思います。こちらの日本人の家庭にいくと(私をふくめ)やたらと物が外に出ています。
  大体、アメリカ人宅のお宅では、台所のカウンターにも何も置いてなくて、ピカピカな事が多いです。どうしてかと思ったら、一回こんな光景を目にしました。「Dinner is
 ready」と母親に言われてでてきた息子にその家の母親が与えていたのはマイクロオーブンで温めたソーセージ1本だけでした。しかも立って食べさせていました。立派なダイニングテーブルがそのそばにありましたが、テーブルにはなにもなくて、とても清潔感はありましたが・・・。


  今回自分の年を自覚したことと、日本人なのに物が外に出ていなくて、抽斗がきれいに整頓されている2人の友人に触発されて、みなさんに今年中に終活すると宣言しましたが、この1年以内で来年召されても大丈夫なように整理整頓ができるでしょうか?


 できないときには私はクリスチャンで仏教徒ではないので、断捨離は関係なく、後は野となれ、山となれ、と開き直ろうと思います。

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